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福岡地方裁判所 昭和61年(行ク)1号 決定

主文

本件申立てを却下する。

理由

一本件申立の趣旨及び理由は、別紙(一)記載のとおりであり、本件救済命令の内容は、別紙(二)命令書記載のとおりである。

二労働組合法第二七条第八項によれば、同項所定の決定(以下「緊急命令」という。)をするか否かは、受訴裁判所の裁量に委ねられており、受訴裁判所は、救済命令の適否及び即時救済の必要性等の諸事情を考慮して、相当と認める場合に緊急命令を発するものと解されるから、以下右の点につき検討する。

三まず、本件疎明資料によれば、不当労働行為の成否に関する事実として以下の事実を一応認めることができる。

1  補助参加人テレビ西日本労働組合(以下単に「組合」という。)と被申立人との労使関係

(一)(1)  組合は、昭和三四年一二月一日に結成され、以後二か月程の間に被申立人との間で「会社と組合は労働三法の精神を充分尊重する。」等の内容の覚書並びに唯一交渉団体及びチェック・オフ等に関する覚書をそれぞれ締結したが、昭和三五年から同三六年にかけて、組合員の昇進による組合脱退等が原因で被申立人との間で紛争を生じたのを発端に、昭和三六年にはユニオン・ショップ協定の締結をめぐつて一三六時間のストライキを実施したり、昭和三七年には人事同意約款の協定化を求めて皿倉山及び高宮の両送信所を占拠して一五日間にわたり電波を止めたりしたが、これらの紛争は昭和三七年四月七日労使双方が申立人のあつせんを受入れたことにより一応解決した。

更に、昭和四三年には、組合員の課長昇進による組合脱退及び組合執行委員の配転等を被申立人の組合攻撃だとして反発した組合が、被申立人に対し人事異動に関する要求書を提出して闘争を行い、昭和四四年五月二九日に被申立人との間で「執行委員の配転は原則として行なわない。」という覚書を締結した。

また、昭和四九年には、被申立人が、その本社を北九州市から福岡市に移転する計画を実施に移したことに伴い、組合と被申立人との間で労働条件の変更等について五六回にわたり団交が行われ、同年一〇月には自動電話交換機の搬入をめぐつて紛争が生じたが、これについては、被申立人が裁判所に申立てた仮処分手続において和解が成立した。

(2)  被申立人は、右本社移転後の昭和五一年、第一次オイル・ショック後の厳しい経営環境のもとで経営の合理化を目指す長期経営計画第一次三か年計画を実施した。しかし、組合は、これを人員削減を計るものとして否定的に評価し、特にニュース枠の充実拡大を求めていた報道部の組合員は、この計画により報道部が縮小されるとの危惧の念を抱き、被申立人の右経営方針に反対する姿勢を示していた。

昭和五〇年一一月には、地場の大手醤油メーカーが基準値を大幅に上回る汚水を排出するという事件が起こり、当時被申立人報道部の記者であつた補助参加人宮内(以下単に「宮内」という。)ほか一名が取材にあたつたが結局その取材内容が放送されなかつたことから、組合は、これがスポンサーの圧力によるものだとして被申立人の報道姿勢、ひいては経営姿勢を非難するとともに、被申立人に対し団交の席等で抗議したが、ここでも報道部組合員が中心となつて行動した。

昭和五一年には報道部と映画部とが統合されたことや、当時社員の能力開発及び職場の活性化のため部門間の人事交流の必要性が意識されていたこともあるが、右のように報道部において活発な組合活動を行つた組合員の多くは、その後昭和五一年から五三年までの間に、他の部署へ配転されている。

(3)  なお、昭和五六年四月に、被申立人が会社の活性化をはかる運動としてCIS計画を実施した際、組合営業部の職場新聞には、同計画の趣旨には賛同しつつも、実効性については疑問視する記事が掲載されていた。

(二)  右のような労使関係のもとで、組合は、配転に関して特に以下の三つの問題を大きくとりあげている。

(1) 組合結成時の第一期執行部書記長であつた隈正之輔(以下「隈」という。)は組合結成後約一年経つた昭和三六年一月一日付で本社から東京支社へと配転され現在まで東京支社に配置されたままとなつている。組合側は、この配転が組合弱体化を意図してなされたものだとして、被申立人に対し隈を本社に戻すように要求しつづけているが、被申立人は、隈が昭和四〇年五月に山陽放送東京支社で起こつた住居侵入・傷害事件で逮捕・起訴され昭和四五年に東京高裁で無罪が確定するまで刑事被告人の地位にあつたこと及び同人が昭和四二年に東京で被申立人東京支社採用の女子社員と結婚したことから、昭和四五年までは右刑事事件の審理のためという理由で、それ以降は夫婦同時に本社へ異動させることは業務上困難であり、さりとて単身赴任は本人の意思にも反し、組合の反撥を招くという理由で、同人を本社に配転していない。

(2) 前記送信所占拠の争議当時の組合執行部委員長であつた柴田長(以下「柴田」という。)は、申立人のあつせんにより紛争が終息した後、この争議責任により三か月の休職処分を受けていたが、この処分の解けた三日後の昭和三七年七月二三日(この時は既に組合執行委員の職は離れている。)付で本社から東京支社へ配転された。そして、同人は、昭和四〇年に前記山陽放送東京支社で起こつた刑事事件に関して種々の活動を行つていたところ、昭和四三年八月には大阪支社へ配転され、同支社において民放労連大阪支部連の書記長をしていた昭和四九年八月には久留米支社へ配転された。その後、同人は、昭和五二年に組合を脱退し、昭和五六年本社に配転された。組合は、これについて、被申立人が柴田の組合活動を理由として支社をたらい回しするような配転をしたと主張している。

(3) また、昭和五二年一一月から、報道部組合員の手で、被申立人の報道姿勢を批判する職場新聞「ペンカメ」が発刊され、松本幸俊及び尾登憲治がその編集委員となつて、毎日のように発行されていたが、昭和五三年八月の定期異動で、右松本は北九州支社へ、右尾登は大阪支社へそれぞれ配転する旨の内示がなされた。このため、組合は、この配転がペンカメ発行にたいする報復であり、組合の報制第一支部の活動への攻撃であるとして、同年七月二二日、被申立人に対し配転撤回と配転問題についての団交開催を求めて申立人にあつせん申請を行つた。しかし組合と被申立人との立場の相違から一致点が見出せず、申立人の口頭勧告のみであつせんは打切られた。その後、被申立人が内示どおり右両名の配転を発令したため、組合は申立人に不当労働行為救済の申立を行つたが、昭和五五年一月一六日申立人の和解勧告により、右両名は不当配転の追加申立をした他の一名とともに一旦は被申立人の配転発令を受諾して配転先に赴任するものの別途念書により程なく元の職場に戻るという申し合わせで解決がついた。

2  宮内の北九州支社配転(以下「本件配転」という。)に至る経緯

(一)  宮内は、昭和三六年五月、被申立人編成局管理課に臨時雇用として採用され、約一年後には同局編成部、同四三年に同局報道部(記者)、同四七年五月から約一年間ソウル支局駐在の後、同五二年二月まで報道制作局報道部福岡支社(昭和四九年一二月からは福岡本社)駐在となつた。

この間次のとおり組合役職を歴任している。

昭和三八年八月から同三九年八月まで 第七期執行委員会副執行委員長

昭和三九年八月から同四〇年八月まで 第八期執行委員会書記長

昭和四〇年七月から同四一年七月まで 民放労連九州地方連合会副執行委員長

昭和四二年一〇月から同四三年一〇月まで 単組中央行動隊副隊長

昭和四四年一〇月から同四五年一一月まで 単組代議員会副議長

昭和四五年一一月から同四七年二月まで 第一四期執行委員会執行委員

昭和五〇年一月から同年八月まで 報道部代議員

昭和五〇年一二月から同五一年一一月まで 第一期報制第一支部委員長

昭和五一年一一月から同五二年二月まで 第二期報制第一支部書記長

特に、昭和五〇年前半ころの前記報道部組合員が行つていたニュース枠の拡大要求等のほか被申立人の経営姿勢に対する批判活動においては、組合報道部代議員として、前記醤油メーカーの汚水廃出事件が報道されなかつた件についての組合の抗議活動においては、その取材にあたつていた当事者として、昭和五一年ころ以降の前記組合報道部が被申立人の長期経営計画を人員合理化計画であるとしてこれに反対した活動においては、組合の報制第一支部委員長ないし書記長として、いずれも活発な組合活動を行つた。

なお、宮内は、昭和五〇年二月ころ、当時の報道制作局長であつた村井から、組合を脱退すれば昇進させるという趣旨の話を持ちかけられ、これを断つたとしているが、被申立人側はこれを否定している。

(二)  その後宮内は、昭和五二年二月、業務局営業部へと配転され(被申立人においては、採用時に特に職種を限定しておらず、他部門への人事異動も行われていた。)、ここでは組合業務局営業部の代議員となつた(昭和五〇年末ころから組合には支部組織が結成されたため、組合役員として正副支部長、支部書記長、支部委員等もあり、代議員の地位の重要性は以前に比べて相対的に低下している。)が、昭和五四年一月、前記松本および尾登ほか一名の不当労働行為救済申立事件の審問手続において、証人として証言したことがある以外に特筆すべき組合活動はない。もつとも宮内によれば昭和五三年一月、当時の営業部長であつた的野から、再び昇進と引替えに組合脱退を勧められ、これを断わつたことがあるとしているが、前同様被申立人側の否定するところである。

(三)  昭和五六年七月、宮内に大阪支社営業部名古屋支局に配転する旨の内示がなされた。組合は、名古屋支局が支局長と現地採用の女性社員一名の二人勤務の小さな支局であること、名古屋・東海地区が民放労連における労働組合活動の低調なところであることを理由に、この配転が宮内の組合活動に対する報復だとして直ちに団交で配転の撤回を要求したが、被申立人はこれに応じなかつた。そこで組合は、同年七月二七日、申立人に対し宮内の配転撤回及び一般的な配転ルールの設定を求めてあつせん申請を行つた。この事件は、同年七月三一日、左記あつせん案を双方受諾することで一応解決した。

記(あつせん案)

1 配置転換および転勤については、本人の意向をできるだけ尊重するため自己申告制度を導入すること。

2 配置転換及び転勤にあたつては、自己申告内容を出来るだけ尊重し、特に居住地変更を伴う場合については内示一〇日前に本人の意向を打診すること。

3 配置転換および転勤該当者の教育研修については、その直後、新職務遂行にあたり必要に応じこれを行うこと。

4 遠隔地転勤について、その在任期間の限定は出来ないが、今次宮内の名古屋支局転勤については従来の慣行通りとすること。

5 今次宮内の転勤については、家庭の都合を配慮し九月一五日まで赴任を延期すること。

なお、このあつせんの段階では、組合が配転ルールの一つとして遠隔地配転について在任期間を明示することを要求していたこと、宮内の名古屋配転の撤回を求めていたことから、宮内の在任期間については論議されたが、次の配転先の場所について話題になることはなかつた。

また、右あつせん案受諾後、被申立人は、昭和五六年一一月一〇日の労使協議会で右あつせん案第1項に従い、自己申告制度に関する会社案を組合に対して示したが、組合は、配転諸問題は自己申告制度の導入だけで片付く問題ではないとして、組合の配転に関する他の諸要求を含めて協議することを主張し始め、これに対し、被申立人は、配転に関して一定のルールはできているとして、あつせん案で取上げられている自己申告制度問題を切離して協議することを主張したため、結局労使の協議は進まず、自己申告制度は導入されないままになつている。

(四)  宮内は、右あつせん案に従つて名古屋支局に赴任した昭和五六年一〇月、名古屋支局のもう一人の従業員である山田美知を組合に加入させ、これを契機に結成された組合の大阪支部において副委員長となつた。この組合支部は、結成早々の課題として、宮内が入居することになる名古屋支局長の社宅を通勤に便利なところへ移すよう要求することを掲げた。

一方組合は、宮内の配転に関し、あつせん案第4項の「従来通りとする。」の意味は、赴任期間が二年一か月であり、かつ、次の異動先が本社であることだと組合ニュース等で主張し始め、春闘要求時あるいは年末要求時などに他の支社への長期配転者とともに宮内を本社へ異動させるよう求めていた。ところが、宮内の名古屋支局赴任から約二年六月経つた昭和五九年二月の異動期(従来から被申立人の定期人事異動の時期は二月と八月であつた。)に至つても、宮内の配転予定がなかつたことから、組合は同年二月六日、申立人に対し、右あつせん案第4項の解釈についてアフター・ケアの申入れを行つた。このアフター・ケアの席では、組合が「歴代の名古屋支局長の在任期間は単純平均で二年一〜二か月であり、最長と最短を除いた平均でも二年六か月となるので、宮内は昭和五九年二月の異動で本社に戻されるべきである。」と主張し、被申立人は「あつせん案は遵守するが、会社としては、あつせん案第4項に言う『従来の慣行』とは三年程度が目途と解釈しているし、名古屋の次の赴任地についてはあつせんの過程では一切問題にされていなかつたので、『あつせん案どおり本社に戻せ』という組合の主張はおかしい。」と主張した。申立人は、昭和五九年三月八日の第二回アフター・ケアにおいて、「慣行どおりというのは、労働委員会としては、いくらかの幅はあるにせよ、三年を基準として考えた表現である。」との立場から、被申立人に対し左記内容で意向を打診した。この意向打診に際しては、期間の問題が中心となり、次の異動先については遠隔地ではないという以上にこれが本社であるか否かについてまでは特に明確にはされなかつたところ、被申立人はこれを受け容れることを表明し、組合もこれを了解したので、これによるアフター・ケアは終了した。

1 会社は、昭和五六年七月三一日付あつせん案を遵守する。

2 前回二月二二日に示された、地労委のあつせん案第四項「従来の慣行」とは、あつせんの経緯から「三年を標準とするもの」と解釈するという見解も了解する。

3 よつて、全般的人事については別だが、宮内氏の人事については、2項の主旨を配慮し善処する。

なお、名古屋支局における歴代支局長の在任期間及び赴任前後の所属は別表のとおりである。

その後、宮内には、組合が昭和五九年六月二七日になした被申立人の昇給昇進差別を理由とする不当労働行為救済の申立てをした際、同申立人会議の事務局次長に選任されるといつたことがある反面、同年五月八日には、組合の大規模なストライキに参加せず、広告代理店の主催する親睦ゴルフ大会に参加するといつた行動もある。

(五)  昭和五九年七月一九日、被申立人は、大阪支社長を通じて宮内に対し、同年八月の異動で北九州支社への配転の内示を伝え、その意向を打診したところ、宮内は、本社への配転を期待しており、北九州支社配転には不満であつたが、大阪支社長に対して直接その意向を表明して抗議することはなかつた。ところが、これを知つた組合は、かねてより宮内について本社へ配転することを要求として掲げていたところから、同月二五日、「今回の宮内に対する北九州支社配転の内示は不当労働行為であり、宮内を本社へ戻すよう強く申し入れる。」旨の申入書を被申立人に提出した。しかし、被申立人は、当初の予定どおり宮内を北九州支社営業部へ配転する旨発令した。

宮内は、この発令どおり北九州支社に赴任したが、自宅が福岡市東区にあるため片道約一時間五〇分の通勤時間を要している。但し、被申立人においては、かつて本社が北九州市から福岡市に移転したこと、現在の福岡本社が交通の便のよくない場所にあることなどから、本社への通勤時間に一時間半から二時間を要する者も少なくはない。

(六)  以上の経緯のもとで、昭和五九年一〇月三日、宮内及び組合のほか補助参加人民放労連九州地方連合会及び同日本民間放送労働組合連合会が申立人となり、本件配転が労働組合法七条一号及び三号の不当労働行為に該当するとして、申立人に対し救済の申立てをなした。

その審問の席上、被申立人は、宮内を北九州支社に配転した理由について、①本件配転当時に遠隔地に単身赴任していた組合員として、宮内のほか大阪支社勤務の江口哲雄がいて、宮内は支局に二年一一か月、江口は支社に四年六か月勤務しており、江口の方が職位は低いものの、地元福岡県に返す必要性は両者同じであつたこと、②当時被申立人において地元ローカルの営業強化の必要性が意識されていたところ、被申立人の営業売上げは、地元二大拠点の一つである北九州においてはかつて被申立人の本社があつたこともあり民放四社中一位であつたのに対し、福岡においては同四社中三位であつて、福岡の方が営業強化の必要性が高かつたこと、③宮内と江口の経歴をみた場合、宮内は編成約六年四か月、報道約五年六か月、福岡営業約四年六か月、名古屋営業約三年であるのに対し、江口は北九州営業約七年四か月、福岡営業約六年七か月、大阪営業約四年六か月であつて、江口の方が営業経験が豊かなうえ、福岡営業時代の実績も高かつたこと、④北九州支社営業部には部次長待遇チーフ・マネージャー(当時の宮内の職位)がおらず、福岡本社営業部にはこれがいたこと、等の事実を前提に、右事実に基づく業務上の必要から本件配転を行つたと述べている。

四上記事実に基づき、本件配転が労働組合法七条一号及び三号の不当労働行為に該当するとした本件救済命令の適否を検討する。

1 まず、本件配転は、それ自体名古屋支局から北九州支社への配転であり、宮内にとつても組合にとつても別段不利益はなく、むしろ有利な配転と言うべきであるから、そもそも不利益取扱いに該当しないとも考えられなくはないが、しかしこれを福岡本社に配転されること(参加人宮内以前の名古屋支局長が転出の際前任地へもどされていたとして同人にこれをあてはめて想定したもの)と比較すれば、会社の機構上も本社ではなく支社であること、自宅が福岡市にあり通勤時間が長くなること等からみると、一応不利益な取扱いと言つて差支えない。

したがつて、被申立人が、宮内の組合加入若しくはその正当な組合活動を嫌忌したことを決定的動機として、あえて同人を福岡本社ではなく北九州支社に配転したとすれば、本件配転は不当労働行為に該当することとなるので、以下この点につき検討を加える。

2(一) まず、被申立人が宮内を福岡本社に配転すべき法律上の義務を負つているといえるかについて検討する。

(1)  宮内の配転については、昭和五六年七月三一日のあつせん案に基づく合意が成立しているところ、その第四項の「今次宮内の名古屋支局転勤については従来の慣行通りとすること。」との文言の趣旨は、そもそもあつせんの段階では名古屋支局からの転勤先については話題になつていなかつたこと、右文言部分は「遠隔地転勤について、その在任期間の限定は出来ないが、」という文言に続いていることからみて、本件救済命令も判断するとおり在任期間を従来の慣行通りとする趣旨でしかなく、福岡本社への異動をも内容としているものとは解し難い。他に、被申立人が宮内との間で、右の点につき格別の合意をしたことを認めるに足りる疎明はない。

(2)  また、過去名古屋支局長からの異動の際は同支局で退社した一名を除く延べ七名の同支局長が前任地へ戻つているという事実も、これを法的に意味のある労働慣行と認めることはできない。すなわち、企業内で繰り返される事実が法的意味をもつ慣行と言い得るためには、単にその事実が累積されているだけでは足らず、当事者がこれによる意思を有していること、言い換えると、その事実が当事者の規範的な意識に支えられた企業内の事実上の制度として確立していることが必要であると解されるところ、本件の異動の前例は七例に過ぎず、その数自体が少ないだけでなく、内容的にみても、前任地が支社から本社になつていたり(安部)、業務が変わつたり(由布を除く六名)しており、業務上の制度として考える余地もなく、他に、これが事実上の制度として当事者の規範的な意識内容となつていることを窺わせる疎明はない(なお、本件救済命令は、このような前例について、名古屋支局長の職が精神的にも業務上もハンディがあることから、これに対する労いの意味もあつて、被申立人が従来の支局長を前任地へ戻す取扱いを事実上積み重ねてきた旨説示しているが、右説示も、こうした取扱いが、当事者の規範的な意識に支えられた法的に意味のある労働慣行に高められているという趣旨を述べたものとまでは解されない。)。

(二)  そうすると、少なくとも、被申立人において宮内を本来福岡本社に戻すべき法的義務を負つているものとは認め難いところ、被申立人の昭和五九年八月一〇日人事異動に際し、単身赴任中の宮内及び江口を福岡本社及び北九州支社に配転する対象として考慮し、営業強化の必要性と両名の職歴、異動後の職位のバランス等から、宮内を北九州支社に、江口を福岡本社に配置したという被申立人の説明は一応の合理性を有しており、これに加えて宮内の組合活動が最も活発だつたのは昭和五〇年から昭和五二年ころであり本件配転直前の勤務地である名古屋支局においてはそれほど目立つた活動がないこと、北九州支社と福岡本社とを比較した場合の不利益性がそれほど大きいとは解されないこと等の事情を総合判断すれば、前記三で認定した、宮内の組合活動及び組合と被申立人との労使関係を考慮に入れても、なお本件配転をもつて宮内の組合加入ないし組合活動に対する嫌忌が決定的動機となつて行われたものと推認することはできないと言うべきである。

五以上によれば、本件配転が労働組合法七条一号若しくは三号に該当する不当労働行為であることは認め難く、これを肯定した本件救済命令の適法性については疑問があるからその余の点につき検討するまでもなく緊急命令を発することは相当でないと思料される。

よつて、本件申立を却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官藤浦照生 裁判官倉吉敬 裁判官鹿野伸二)

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